熱中症への誘導について

ここ数日、熱中症がマスメディアを騒がせている。

そして、今さらではあるが、文科省厚労相熱中症の危険性を喚起し、屋外や、運動中のマスクは不要だと囃し立てている。

とてもとても違和感を感じるのだ。

当然のことながら、去年も夏はあった。
コロナ対策媧にあって、様々な行事が自粛と言う名の忖度に費やされ、若者の貴重な機会と時間を失わせてしまった。
しかしながら、休校等を挟みつつも、全ての運動イベントが無かったわけではないだろう。
学校側としては履修させないわけにいかないからだ。

そういったことを考慮して見ても、熱中症で不調を訴える児童生徒が多すぎるように感じるのである。


去年と同時期を見ても、口布の猛威は凄まじく、現在と遜色はなかったように思う。
そうであるのに、何故か今年に入り夏が近づくに連れ、熱中症への注意が叫ばれ、口布を外しても良い(外せとは言わない)と言い出した。
あたかも、口布が熱中症を引き起こしているかのようだ。

少し目線を変えて
↓の記事は国立感染症研究所が投稿した、汁の接種年齢引き下げの記録だ
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/10569-covid19-53.html

現在は5歳以上にまで引き下げられている。
そして、記事にあるように、12歳以上が対象になったのは、2021年8月2日である。
お盆休みのせいで感染が広がった等と煽り、デルタからオミクロン推しが盛んだった時期である。
一人感染が確認される度に、休校が横行していた。
秋に催されることが多い文化祭まで自粛していたのだからかなりの影響を受けていたであろう。

そう、今年の夏は、汁災禍後において初の夏を迎えると言う訳である。
なぜか発熱、その後も体力の低下を引き起こし、感染予防効果も、重症化予防効果もデマとなったあの汁災禍後の夏である。

私にはどうしても無関係だなどと思えない。これまで、議論すらされず、無法な強制すら当然のように横行していた口布を、まるでさも当然かのように外せと言う。
まるで、スケープゴートやミスディレクションを狙っているかのようにやり玉にあがるのは口布だ。
被害が出て始めて、自由化ではなく明確に「外せ」と言い出した。

効果がないとは言わない。外すことをためらい、真っ赤な顔をして苦しそうにしている様相を見れば、外せと言わなければさらに被害は拡大するだろう。
しかし、これほど同時多発的な熱中症を引き起こすに至った経緯と原因を口布だけで片付けてしまうのは非常にまずいと思うのである。

接種有無による差別をなくすために接種有無の確認は控えて頂きたいとはよく言ったもので、見事に非難する風潮ができてしまっている。
だが、「ワクワク割り」などというふざけた制度を打ち出している時点で、接種有無による差別を助長しているし、そもそも秘密にする必要性も感じない。思想信条及び、表現の自由が担保された日本国なのだ。自らの主張を表現することに何の引け目を感じる必要もないのだ。そもそも、「差別はいけないよ!」と宣う政府が、接種有無によって差別を行っているのだ。

症例が集まっていないとかかんとか理由をつけるなら、しっかりと症例を集めて統計を取ってほしい。もちろん第3者が。

短絡的に結び付けるのはいただけないが、多くの副作用で苦しむ方々の声が上がっているのだ。しっかりと影響を調べてほしい。
政府、愚民党、混迷党、そして多くの副反応、副作用を知っておきながら怪しい汁を推進した政治屋の羊さん達に告ぐ。

廃棄される予定の、国民の血税を使って手に入れた怪しい汁の安全性を、その身に取り込んで示していただきたい。