考え方と理想と方法

先日、フェイスブックの投稿に興味深い記事を見つけた。
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この記事は、中学を卒業されたばかりの若者の投稿だ。
また。続きの投稿にて、底の浅いコメントお断りと、なかなかに挑戦的な御仁であるだろう。

さて、彼の主張に対し、持論を述べようと思う。
コメントで投稿しようかとも考えたのだが、至極個人的な考え方なので、自らのプラットフォームで述べるのが筋であると思った次第である。

彼の投稿に対し、私の感想は、「底が浅い」これに尽きる。
彼の主張は、【被害者の会を作るより、被害者その物を作らないようにしたい】である。
この主張には、全面的に賛同する。

しかし、上記主張の補足として挙げた例では、昨今のmRNA注射の被害者の会を例に挙げ、
「碌な情報収集もせず、自分の判断で摂取したにもかかわらず、被害者面している」
と指摘している。

彼らは、被害者面をしているのではなく、実際に被害者なのである。
線引きの難しさは確かにあるだろう。
ただ、オレオレ詐欺にあるように、仕組みが自明の方々にはなんでこんなのに引っ掛かるのか?であるし、
信じてしまった方々にとってみれば、家族を助けるために必要なことだったのである。

被害者面というのは、被害にあっていないのに被害にあったと声を上げ、対価をせしめようとすることをいう。
個人的に、被害者面をしていると思うのは、某従軍慰安婦の方(誰とは言わない)と考える。

違いは、悪意にさらされているのか、悪意を持っているのかではないだろうか?

「無知ほど罪なことはない」という言葉があるように、十全に調べず、行動してしまった方々に罪がないとは言えないと思う。
だが、すべてを見通すことが不可能なように、彼らの姿は「明日は我が身」であるともいえるのだ。

必要なのは、声を上げること。
例え、被害にあったことがきっかけだとしても、取り返しのつかない間違いを犯してしまったとしても、気づき声を上げなければ、声を大きくしていかなければ、世論は動かない。
被害者の会の方々が声を上げることは、彼の提唱する、【被害者の会を作るより、被害者その物を作らないようにしたい】この目標を叶えるためのとても大きな力となる。
自己の経験を語ることは、とても説得力がある実例だ。

彼は、目標を叶えるための力を得る機会を失ったと言えるだろう。
今まで、被害者ではなかった方々も、すでに被害にあわれた方々も、今後、別の被害にあう可能性は等しくあるのだ。

単なる好き嫌いで、自らの道を狭める。非常にもったいない。
目標と手段を同列に語ってしまったがために、今回の投稿は支離滅裂なものになってしまっていると指摘したい。

若さゆえの勢いといえば聞こえがいいが、他者を敬う事をもう少し学んではどうだろうか?