選び取るもの


4月28日
最近懇意にさせていただいている、谷本誠一市議会議員が、AIRDO及び釧路警察を民事告訴し、記者会見を行った。

日本国民の主権を取り戻すための戦いであるとの認識から、応援のため記者会見場へ入り、傍聴した感想を述べようと思う。

こういった会見を傍聴するのは初めてだ。
会見で見聞きした内容と、取材後のニュース記事を改めて見返してみると、どれだけ事実を報道せず、偏見を持って解釈をねじ曲げ、あたかもとんでもない悪事を働いたかのように知らせる。報道倫理が忘れられて久しい。

我々がメディアを通して得る情報は全て、又聞きである

事実と言うものは、自ら確認したものにしかわからない。人と言うフィルターを通れば通る程主観が入り込み、語るものにとっての真実へと変貌を遂げる。

この十人十色のフィルターは成長と共に形成されていく。アドラー心理学では、ライフスタイルの選択と呼ばれていたと思う。

近年特にこの十人十色のフィルターが
二色くらいになっていないだろうか?

メディアの作る流行から外れることを恐れ、重要な選択は権威にすがり、民主主義の根幹を成す、個人の主権すら売り飛ばしているように思えてならない。

多様な考えを持つ方々を団結させることは、非常に困難を極める。
しかし、ほぼ、同一の判断基準を持つ集団であれば、意図も容易く意見がまとまる。
全会一致の罠に陥りやすくなってしまうのだ。

集団(群れ)を形成する生物は、個として非力であることが大半だ。だからこそ集団を形成し、視点を多様化させることで、迫る危険をいち早く察知しようとする。

集団が全員前を向いていたら、後ろから迫る迫る脅威に気付かず、壊滅的な被害を受けるだろう。

コロナワクチンの緊急承認は、国会にて全会一致で可決された。
その結果は、数値に置き換えることができないあやふやな効果と、1700人近くの犠牲者だ。
遠因まで考えると、どれだけの命が散らされたのか想像もつかない。

頑なに、個人主権の奪還を訴える、谷本誠一市議も、呉市市議会にて、呉市で初めて政治倫理審査会にかけられ、辞職勧告決議案を全会一致で可決された。

前述の報道記事でも、訴状内容も確認せず、報道内容を鵜呑みにし、感情に任せたコメントが多数を占めている。

いかなるものであれ、統一された集団思想は狂気しか生まない。相違を認めず、感情のままに糾弾する行動の行き着く先はファシズムしかありえない。

全国各地で活動されている、志ある政治家が、戦いの場に立ち続けて頂くためにも、我々も自らの主権を放棄することなく、声をあげ続けて行こう。

父親として物申す

先日、ツイッターでとある記事が目に止まった。

関東で、世界の仕組みをいち早く見抜き、訴えてこられた政党の党首が、中学二年の女生徒を妊娠させたと。

新手のプロパガンダかと思い、さほど気に止めることなく流した。
その日の夜に、当ご本人が説明をするとのことだったので、少し落ち着いた時に、改めて動画を見ようと思い立った次第である。

そして、先ほど動画をみて、1/3ほどたった時、
嫌気がさして動画を切った。

彼の主張を全面的に信ずるのであれば、フラッシュの記事は完全に捏造である。
報道倫理とはなんぞや?と声を大にして言いたい‼️

しかし、こうも感じた。
なんと不誠実な男だ、と。

私は、彼とは直接話したこともなければ、彼ほど真摯に訴え続けてきたわけでもない。彼の不断の活動には唯々敬服の極みである。最近気づいたような羊上がりが、物申す資格はないのかもしれない。
だがしかし
今回の事案は承服しかねる

彼の発信した動画をを見た限りで、彼が語った事実として
1、妊娠したとき相手は16才である
2、彼自身は相思相愛であると思っている
3、相手の両親公認の交際である
4、相手と合意の上で、且つ、相手の母親合意の上で事に及んだ
5、妊娠した重大事項を、相手の父親に告げる時期を、相手と相手の母親との合意の上で、堕胎ができなくなる時期まで遅らせた。

ここまででもう、先を確認する意欲が失せ、動画を切った次第である。

ん?といぶかしんだのが4の時点。怒りで見ていられなくなったのが5の時点だ。
彼には、相手の父親に対してとても不誠実な行動をしたという自覚がない。

要約すると、相手の父親から見て、
娘との交際を認めた男が、娘と娘の母親と結託し、間違うことなき騙し討ちを行い、娘に決して消えぬ烙印を押した。となる。

これを許せる父親は親権を放棄すべきとまで言いたい。許せるはずがないだろうが!

過去記事に眼を通していただければわかるが、私にも娘がいる。加えて渦中の彼と私は一つしか違わない同世代である。私の家族が同じ境遇に陥ったことを考えると、とても平静ではいられなかった。

そして、自分は何をして、何を見ていたのかと、こんな下らない男に娘を差し出してしまったのかと、悔やんでも悔やみきれない。
もう二度と娘や妻に関わらせないと、血の涙を流し自分を許せぬまま過ごす。

心痛はいかばかりか

日本語は難しい。解釈のしかたで言葉は意味を変える。
男が、尊くあれば、女は、卑しくなる必要がない
今回の事案はまさに
男が、尊厳をなくしたことで、女を、卑しくさせてしまった。自らの家族を騙し討ちするほどに。

彼は、自らの尊厳を溝に捨ててしまった。
誠に残念至極である。

過去記事を読んで思ったこと

久しぶりに筆を取るにあたり、自らを省みるために過去記事に目を通した。

今となっては懐かしくもあるが、かなり恥ずかしい記事が多い。
お目汚しいただいた方には、生温い眼差しを所望したいところである。

昨今、地域の交流が失われて久しい。
近所の子らもどんどん青年淑女へと成長を遂げている。
気づくのが遅れ、こんな世の中しか引き渡せるものがないことに、誠申し訳ない限りである。
気づいたからには、微力であるが抵抗していく。

どんなときでも笑うことはできる。
苦しいときこそ、笑って自虐なギャグで乗りきろう。
へこたれない姿くらいしか見せられないが、何より、生きるために必須の心構えだと信ずるが所以であるから。

ブログ再開について

めっきりご無沙汰であったブログを再会しようと、漸く筆を取った次第である。

 

盛大な飽き性であるので、凡そ二年半近くのブランクがあるが、それほど凝ったものではないので問題ないだろう。

 

昨今の世間の乱れを憂い、微力ながら世間に働きかけようと思い立った次第である。

 

女将曰く、壊滅的なギャグセンスらしいが、無理のない範囲で執筆を楽しむので、気の向くままに訪れていただけると幸甚である。

アイススケート

勝負は時の運ともいうが、圧倒的に培われた選手の技術が引き寄せるものであることは間違いないと思う。
昨日の男子グランプリファイナルのフリーもトップ二人の抜きんでたパフォーマンスにくぎ付けになった。結果惜しくも羽生選手は2位となってしまったが、結果を受け止めすぐさま次へと意欲を見せるどん欲な姿勢は、応援する方々へ自分はまだまだこんなもんじゃないという気概をこれでもかと発信していた。

バレーボールに熱狂して以来のテレビ前での興奮に、娘から「静かに見て。叫ぶのはバレーボールだけにして!」と絶対零度な突っ込みをもらいながらもくじけることなく最後まで観戦し、時折出る声にジト目をもらいつつも諦めることなく最後まで見続けることが出来た。大変おこがましいがこれも羽入選手の御蔭だろう・・・。

しかし、ライバルの存在は当事者たちにとっても、観戦する方々にとってもこれ以上ないほどの興奮を呼び覚ます。

貴乃花と曙たっだり、北島康介ダーレオーエンだったり、浅田真央キム・ヨナだったり、孫悟空ベジータだったり、、、力石徹矢吹丈だったりと、、、、

スター選手は多く台頭するが、同時期に同じ土俵で邂逅する確率は非常に低いと思う。特に世界最高峰の舞台でライバル同士が頂上決戦をするという状況は滅多にみられない。だからこそ、応援する選手に感情移入もするし、わがことのようにテレビの前でも力が入る。思わず声もでる。なので勘弁してください。

女子スケートも4回転ジャンプが目立つようになってきた。更なる進化の為にも、紀平選手の活躍も期待したい。

忘年会

師も走る、毎年お馴染みの忘年会シーズンと相成った。
あっちで忘年会、こっちで忘年会、またまた忘年会と、世の人々は忘れたいことが多すぎる。

そういう吾輩も一回では済まないので人のことは言えない。。。

あまり酒に強くないくせに見栄っ張りという忘年会シーズンとは相性最悪の吾輩だが、今日はすこぶる普通の体調だ。昨日の忘年会を全く引きずっていない。
近年にない珍事である!

多くの方々に酒による失敗談の一つや二つあると思う。吾輩にも当然ある!
自信持って言えたことでもないが、飲みすぎて意識が混濁したり、激しく嘔吐を繰り返したり、いつのまにか家に居たり、、、さーっせんしたっ!

そのたびに多くの方に助けていただき非情に感謝の極みでありますっ!

しかし、冒頭でも書いたが、世の方々は一体何回ぐらい年忘れをするのだろうか?気の早い所では11月の下旬になれば忘年会リレーに突入する。
職場での個人的な付き合いから、部署、サークル、プライベートでの活動仲間、同級生、など等、名目はいっぱい出てくる。

吾輩はそこまで肝臓を酷使する状況には耐えられないので、御免こうむる。しかし、実際に上記のようなリレーに参加している方々の肝臓は何でできているのだろうか?

生物個体としての性能差をまじまじと感じるが、身の丈に合ったやりくりをしよう。
二日酔いにならなかった今回の飲み会。普段せっせとサプリの世話をしてくれている女将に感謝である。

体罰の法的禁止措置について

私はあまりテレビを見ない。最近は。

たまたま、朝テレビがついていてニュース番組で体罰が禁止される法律が来年4月から施工されると報じられていた。
顧みるに、私自身手を上げてしまったことがある。お恥ずかしい話だが、良かれと思ってではなく感情的になり暴力を振るってしまったことがある。

親による子への虐待が増えてきている昨今、とりあえずの措置として禁止することは賛成である。ただ、禁止した理由が虐待が増えているからでは短絡的に過ぎるのではないかと思うのだ。
そもそも体罰が問題ではなく、行き過ぎた体罰に歯止めがかからないことが危険なのだと思う。体罰とは方法の一つに過ぎない。国家間のやり取りに戦争とういう方法があるのと同じだ。問題になるのは使う人の心であると思う。

自身を顧みるに本当に体罰という名目で暴力に訴える必要があったのかと思うと、全然別の方法でも同じことを伝えることが出来たと思う。それに手を上げたことで伝わったのかというと必ずしもそうではない。むしろお互いに確執を産んでしまっただけだと思う。

ただ禁止するだけではなく、罰を使わずにどうすれば伝わるのか?そういった方法を模索し、発信していく事が必要だと思う。
暴力を振るうことはなくなったが、生来のイライラ持ちの為、すぐに顔や声に出る。すると家族はすぐに察知する。すると家族の顔にも出るので、心の中で『落ち着け~』と念仏を唱える。

人それぞれイライラの逃がし方はあると思うが、対話での解決が行われることを願う。

単純に体罰を禁止するというだけなら、刑罰を持って更生を促す方法を否定してしまう。罪を犯し、刑に服している方、少年院で再教育を受けている子女たち、体罰が意味御なさないのであれば彼らは一体どうなっていくのか?