情報と行動の整合性

久しぶりに、ノーマスクの聖地『愛宕屋』へお邪魔した。
昭和感溢れる店内ディスプレイの数々は、いつ見ても古き良き時代を連想させる素晴らしいものである。
大きな鉄板を囲み、熱々のお好み焼きを頬張ると、うむ。ウマイ‼️

さらに、会食時には街宣活動仲間と、谷本誠一呉市議を囲み、目下の感心事である参議院選挙に付いて多くの情報を頂くことができた。

その中でも最大の感心事と言えば、話題に事欠かない『参政党』であろう。

当初、参院選に出馬表明時の記者会見にて、神谷宗幣氏は3億の寄付を募った。
ホームページを確認すると、既に越えていることが分かったのだが、この3億は公認候補の供託金に充てられる。金がない等と言い寄付を募っておきながら、全国的に活動し、街宣活動や事務所の設置、広報用のポスター、イベント多数。
どこが貧乏だ‼️

多くの信者が、絶賛する演説も幾つか拝見したが、具体性が薄いと言わざるを得ない。
ホームページで政策を確認しようとしても、中身が全く意味不明だし、コロコロ掲載事項が変わる。ある演説者に至っては、

「選挙は政策ではなく人にするものだ。何故なら変化する情況に対応するために政策は変える必要がある。だから信頼できる人に投票するのだ」

数の暴力で運営されている日本において、意思統一出来ない政党などなんの役に立つと言うのか?
あっちへふらふら、こっちへフラフラ、まるで酔っぱらい。空中分解するのが落ちである。
そうでないなら、仕込み以外あり得ない。

SDGsやデジタル通貨の採用、果てはムーンショットに至るまで、自民党と類似した政策を掲げ、演説では戦争を悲惨なものではないと言い、憲法改正を目論む。味方のふりして近づいてきて、いざとなったら情況が変わりましたと全て翻すことを否定しない。
後だしジャンケンしかしない、と公然と宣う政党が参政党だ。

活動内容見れば、寄付など無くても支障無いことは簡単に想像できる。議席獲得を目指している段階であるから政党ではなく、政治団体扱いになるため、今のうちと金策に走ると同時に、寄付と言う行動を通して、自尊心や参政感を与える事に依り、正常性バイアスを働かせ、党内の矛盾を黙認する空気感を醸成している。

これでは党員による自浄作用などあって無いようなものだ。政策論議はできても、党の在り方対にする意見や批判など封殺されてしまう。

絵空事だと分かってはいるが、一人一人が自立し、自ら行動できる世の中を切に願う。
他者依存の行き着く先は、全体主義共産主義しか生まないのだから。