じぇねれーしょんぎゃっぷ

言葉の世代間格差が激しい。
最近の悩みは、娘と言葉がかみ合わないことである。

特に娘っ子の大好きな韓流あいどるの話になるとちんぷんかんぷん駄。
ハングルと日本語を組み合わせた造語が横行し、新たな語学体系を形作ってしまうのではないかと愚考するほどである。

私が娘と同じ年頃だった時も、親世代とは多少ギャップがあった。だが、昨今ほどではないように思う。通信技術の飛躍的な進化によって、感受性多感な若い世代が実に多くのものにふれるようになった。仲間うちで発生した言葉がネット上にさらされ、共感を覚えた若者たちの間で拡散していく。敏感な若者たちはこぞって普段でも言葉にし、我らおやじ世代との世代間ギャップを強めていく。

まだ、こちらの話す言葉は相手に伝わるし、分からなかった言葉も説明すれば理解を得られるのだが、、、心配なのは2世代の言葉格差である。
単純に新しい言葉が通じないどころの話ではない。教育という凡そ大人から子供へ流れる道が危機に瀕している。

ここで怖いのは、同じ言葉を発してもそこに込められる意味、概念といったものが全く持って違っているということだ。
私の世代にも当然そういったことはあった。だが、昨今の言葉の氾濫を鑑みるに、お互いに言葉の意味を理解し合う必要があると感じる。

私の最寄り駅には、子ども育成委員会なる組織が啓もう活動の為、いくつかの標語を掲示している。
その中に「掃除をしない子はレッドカード」なるものがあるのだが、仕事前の電車待ちの時間にすこし考えてみた。

多くの人がご存知の通り【レッドカード】とはスポーツで故意に引き起こされた悪質な反則に対しての罰として、該当試合より退場させるというものである。前述の子ども育成委員会は義務教育の児童生徒を支援する団体であるからして、主要ターゲットは義務教育世代であろうと思う。ここで問題なると思うのが、レッドカードに持つ印象だ。スポーツも多様化し、サッカーなどでは、故意に反則をしてでもいかに効率よく勝利するか?と戦略も進化し、イエローカードの枚数を計算しプレーする時代である。日本独特の感覚で、罰則を受けることは恥との意識の強かった世代とはかなり認識が違っている。

「掃除をしない子はレッドカード」

読んで字のごとく「退場させるよ」であるならば、掃除をしない子たちにとってラッキーではないか!
やりたくないことに対し、やらせないと言われるのだ。

標語を作った方は、単に掃除サボったら罰を受けるよ、と脅しているのだが、脅しにならないのである。むしろご褒美となるだろう。

集団意識の強かった昔は、集団からはじき出されることはとてつもない脅威だった。ゆえにレッドカードという言葉の持つ意味を重く考えてしまう。しかし、現代ではレッドカードすら勝利のために必要であれば受ける意識の出来上がってしまっている世代にとっては、それほど強い意味はない。実際に来るなと言われてしまえば、教師のパワハラだなどと非難される可能性も大きい。それに、個人で手軽に集団を作り、もしくは集団に属することができる現代において、一つのコミュニティへの依存度が低下していることも影響が大きいだろう。

伝えたい思いを伝えるためには、もう少し若者言葉及び、文化をを学ぶ必要があるだろう。