秋の収穫祭!

https://www.instagram.com/p/B3y7V-cHMCA/
寄進祭年に一度の神楽#神楽

収穫の季節と相成った。地元の周辺にある神社は大きなのぼりを立て、秋の実りに毎年感謝を奉るお祭りの時期の到来を告げている。
この地方で生活を始めてから、初めて神楽というものにふれることとなり、二桁を数えるほどとなった。

始めてみた時の感想は、、、ただひたすら寒かった。(物理的に)
小雨の混じる中、季節柄の土地特有の気温の変化もよくわからずに薄着で拝聴し、鼻水をたらし満足に覚えておらぬ。

そんな経験から、翌年は厚手のダウンジャンパーを着ていくと、それほど冷え込みもなく、脱いでいても差し付けのないほどの気温で、家族からもこもこジャンパーを預かり、人生で一番もこもこした。

毎年、違う神楽団が公演されるのも変化があってよい!演目は奉納神楽ということもあり、毎年ほぼ同じである。しかし、団が変われば演じ方も変わり、神楽の道具も少しづつ変化している。
今年は、狐の面が究極進化しており、なんと目が赤く光る!かっこいい!!節分で使用してみたい鬼のお面部門第1位だろう!

日々、仕事に忙殺される現代人にとって、季節とは感じようとしなければ感じられないものだろう。旬というものの影が薄くもなった。現代社会には年がら年中いろんな食材があふれている。食材の旬がクイズにできるほどなじみがなくなったが、食せることへの感謝を忘れないように、私たち日本人は食膳に「頂きます」と言う。食材から命を頂き生かされていることを忘れないよう先人が習慣づけてくれた日本の心だろう。

最近では現代の野菜と、半世紀ほど前の野菜とでは、含まれる栄養素の量が圧倒的に足りないとされている。飽食と言われる現代だが、飽食と同時に栄養失調であると指摘されている。食べているのに、栄養が足りないのである。食べる物の種類も関係しているのだろうが、必要なものを摂取しようとするとどうしてもストイックな感覚が強くなり、鬱屈とした雰囲気が出てくる。正直なところ、ヘタレの中年親父であるからして適度な息抜きが必要であろう。味もそうだが、目や音、肌に感じる日々に少し気を向けて生きていることを実感してみるのも乙なものである。

日々の糧を供してくれる女将に感謝する次第である。